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王妃と自動手記人形 期間限定公開


 わたくしが、わたくしに至るまでの材料。

 王妃としての誇りが小匙一杯。

 片思いを成就させた夫への愛が大匙二杯。

 味方の居ない森の都で流した涙はたくさん。

 白椿の花の国の姫君としての意地を涙の生地にこねて、砂糖をまぶして焼くの。

 ナイフで切ろうとしても、一苦労な硬さまで焼いたら出来上がり。

 誰にも、簡単に食い破られたりはしない。

 大人のわたくしはそうして生まれ変わった。

 では、あの子は。

 わたくしのお気に入りのあの子は、いまどんな大人になっているのかしら。

 気になっていたところに、吉報は訪れた。





「王妃と自動手記人形」







 赤薔薇が咲く頃に、その襲撃者はやってきた。

 艶やかな金糸の髪をなびかせ、宝石のような碧眼で人を釘付けにする人形。
 物怖じしない、誇り高き騎士のような娘。それはそういう襲撃者だった。
 彼女との関係は話せば長くなる。わたくし達の間にあった色んな物語を割愛して説明するならば、彼女はかつてわたくしの恋の架け橋になってくれた立役者で、とある有名な郵便社で代筆業に従事している自動手記人形、と言えるだろう。
 ずっと孤高で生きていそうな、そんな娘だったはずなのに、わたくしの前に現れた彼女は違った。
「お久しぶりです、シャルロッテ様」
 長い休暇を取り、諸国を漫遊していると聞いたので我が国の賓客として招いたのだけれど、時の流れというのはこんなに人を変えてしまうものなのね。
「お客様がお望みならどこでも駆けつけます……」
 かつては儚げな少女だった人が成長し、旅のお供に男性を連れてきたのだから、正にこれは襲撃と言ってもよいのではないかしら。
 少なくとも、わたくしの代わり映えのない王宮生活に風穴を開けたわ。

「いえ、失礼致しました。業務休暇中のヴァイオレット・エヴァーガーデンです。シャルロッテ王妃陛下」

 わたくしは王妃らしく、威厳のある目つきと声音で囁いた。
「久しぶりね、代筆屋。いいえ……ヴァイオレット。休暇中なのに来てくれてありがとう」
 そしてわたくしは、ヴァイオレットの隣に立つ男に視線を注ぐ。
 わたくしの可愛い代筆屋は麗しい女達が集う王宮内においても燦然と輝くような美しさを持っている。だからいずれ深い関係の殿方が出来てもちっともおかしくはないのだけれど、彼が彼女にとってそういう関係かはまったくわからなかった。彼はヴァイオレットに続き挨拶をしてくれた。名をギルベルト・ブーゲンビリアと言うらしい。
「二人はどういった関係?」
 単刀直入に尋ねると、ヴァイオレットとギルベルトは顔を見合わせた。そしてヴァイオレットが口を開く。
「私の元上官です」
「仕事関係の人なのね」
「はい、しかし私はもう軍に在籍しておりませんので現在は親しくさせて頂いている恩人と言えるでしょうか……」
「旅行に行くほどに仲がよろしい……恩人なのね」
「……それは」
 ヴァイオレットは自分と彼の関係をうまく定義出来ないのか、黙り込んでしまう。
 しかしそこには前には感じられなかったような、女としての恥じらいが見て取れた。
「……確かに恩人という言葉だけでは足りません……」
「あら」
「もっとふさわしい言葉があればそうしたいのですが、代筆業を務めた私でも、適切な言葉を知らず……」
「あの、ヴァイオレット、ごめんなさい」
「……尊敬では足らず、敬愛でも軽すぎるかもしれず……」
「ごめんなさい、そこまででいいわ。やめておきなさい。彼も照れているわよ。他人に深く聞かれたくないわよね。発展途上なのよね」
 彼は少し居心地が悪そうに微笑んだ。大人の男だが、笑うと少し幼い。
――いい男じゃない。
 宵闇色の髪、恵まれた体躯、精悍な顔つき。どこか気品がある。宮中の女官達が浮き立つような男の色香がある風貌。
――綺麗なエメラルドの瞳。
 美しい男だわ。影がある、憂いの瞳。ミステリアスな眼帯の男。今まで背負ってきた苦労が滲み出ている。王宮騎士とはまた匂いが違うけれど、似た雰囲気を感じる。頼りがいがありそうな体躯はヴァイオレットと並ぶと更に顕著にそう見える。
 若い頃はさぞ美少年だったのではないのかしら。
 彼は、ヴァイオレットと年が離れているように見えた。わたくしはかつて彼女に男女の年の
差をどう思うか聞いたことがあったと、ふと思い出す。
――あの時否定をしなかったのは、彼と関係があったから?
 色々と推察は出来たが、口にはしなかった。もう大人ですもの。
「えっと……部屋に入る前に紹介があったけれど、改めてご挨拶するわ。わたくしはシャルロッテ・エーベルフレイヤ・フリューゲル。この国の王妃です」
 以前のわたくしはシャルロッテ・エーベルフレイヤ・ドロッセルだった。名前が変わってからの挨拶はようやくわたくしの唇に馴染んできている。それでも、わたくしはヴァイオレットに王妃と呼ばれたくなかった。
「ヴァイオレット、先程王妃陛下と敬称をつけていたけれど、お前は以前の通り呼んで。そうして欲しいの」
「不敬では」
「不敬じゃないわ。わたくしが頼んでいるのだもの」
「……」
「これに異議する者はわたくしが罰します。いい、ヴァイオレット」
「はい、シャルロッテ様」
 そう、それでいいの。だって、お前にそう呼ばれると白椿の咲く故郷に居た頃の自分に戻ったような心地になれるのだもの。
 ブーゲンビリア氏にも同様に頼んだが、彼は恐れ多いということで拒否された。まあ初対面だから仕方がないかもしれない。

 それから、わたくしとヴァイオレットは二人きりになった。
 積もる話があるだろうと、ブーゲンビリア氏が席を外してくれたのだ。
 わたくしは、応接の間から女官達も皆追い出してしまって、それでようやく本当に息が出来た。王宮生活で感じる息苦しさは、コルセットからくるだけのものではない。
 もう自分達を見張るような目線がないと思うと、少女のようにはしゃいだ。
「ヴァイオレット」
「はい、シャルロッテ様」
「ヴァイオレット、ヴァイオレット! お前、大人になったわね!」
「はい、シャルロッテ様」
 わたくし達は、出会った頃が互いに少女の時だったから、再会するとまるでその時に戻ったような心地になった。いつも無表情な彼女が喜んでいるかどうかはわからないが、と思ったところでヴァイオレットの唇がうっすらと弧を描く。
――あら、笑った。
 わたくしは、あまりにも驚いて王妃の振る舞いなど忘れてあんぐりと口を開けた。
「ヴァイオレット! お前……!」
 彼女の頬を両の手で触れる。もう少女ではない淑女、そんな彼女にすることではないのだけれど、その自然な笑みが錯覚ではないか確認したくなってしまった。
 ぐにぐにと頬をつねる。ヴァイオレットはされるがままだ。
「しゃる、ろって、さま」
 頬をこねられているヴァイオレットは不便そうに喋る。柔らかいわ、こんなに柔らかいほっぺをしていたの、お前。いやそれよりも。
「どど、どうしたのよお前、笑顔が出来ないからって頬をつねっていたお前が!」
「せいのうが、こうじょう、しました」
 最初、言っていることがよくわからなかった。
『性能が向上しました』
 言葉を頭の中で反芻してようやく理解する。
「……ふふ、あははっ!」
 この調子。まるで玩具の人形が喋っているようなこの感覚。嗚呼、本当にヴァイオレットがわたくしの目の前に居るのだわと実感する。
 わたくしは嬉しくなって、少女のようにころころと笑った。それからヴァイオレットの手をとった。機械じかけの腕を持った彼女に親愛の念を込めて握る。
「……ねえ、本当に会えて嬉しい。元気にしていた?」
「はい。シャルロッテ様もご健在のご様子で」
「わたくしも少し大人になったでしょう? どう?」
「はい、大人の女性になられました」
 いま、妊娠しているのと告げるとヴァイオレットは目を瞬いてから『座ってください』と言った。まるで騎士のようにわたくしを守る様子。
 でもわたくしは首を振った。散歩をしましょうと誘う。少し歩いたほうが母体にも良いのだと言うと、やはり騎士のように腕を差し出してエスコートしてくれた。
 こういうところは変わらないわ。
「夫は政務中だから、夜には会えるはずよ」
 わたくしはフリューゲル王の子を授かったこともあり、今は王宮から居を移し離宮にて静養していた。離宮の外には庭園が広がっており、散歩にはふさわしい場所だ。
 森の王国と呼ばれるフリューゲルは王宮も城下も木々や緑の草原に囲まれている。庭園もドロッセルとは趣が違い、どこか牧歌的な雰囲気だ。環境だけで言えば、子どもには良い場所だと言える。
「晩餐会……は堅苦しいから、離宮での宴にしようと思うの。泊まっていってくれるでしょう? ダミアン様にも会ってほしいし……」
 ヴァイオレットは姿が見えないブーゲンビリア氏の面影を探すように左右に目をやる。
「あの方が良いと言えば……」
 彼は今頃侍従長に宮廷内を案内してもらっているはず。わたくしは承諾するよう説得してと言いつけていたので、恐らくは問題ないだろう。侍従長はやり手の人なのだ。
「お願いよ。一日で良いの。一日で良いから……ヴァイオレットと過ごしたい……」
「私と居ても退屈かと」
「そんなわけないでしょ。そうなら顔が見たいから来てなんて言わないわよ」
「こちらの生活にはまだ慣れませんか」
「……そうね、衝突は小さなものから大きなものまであるわ。嫁入りしてきた当初よりは良くなったけれど、わたくしはやはりこの国では独りぼっちなの。知っている顔に会えたことがどれだけ嬉しいか、お前には理解しがたいでしょうけど……本当に嬉しいのよ」
 ヴァイオレットはその言葉を聞いて、考えるような顔つきをする。
「アルベルタ様を呼び寄せないのですか?」
 アルベルタはわたくしの人生で最も影響を与えた女性であり、母親代わりの宮廷女官だ。
 女官達の筆頭を務める立場にもあり、そう簡単に別の国に嫁いだ王女の元へ行くわけにはいかない。
「……そうしたいわ。わたくしの子が無事に産まれたら来てくれるようにダミアン様が交渉しているところ。王妃の役目を果たせてようやく……ようやく欲しいものを言えるの」
「……尊い身の上の方ゆえの不便、というものですね」
「そう。それにね、アルベルタも自分の国をわざわざ離れたくはないでしょうし……」
「そうは見えなかったかと。私の勝手な憶測ですが」
「それ本当……? ねえ、そういえばここに来る前にドロッセルに居たでしょう。どうしてわたくしに会うより先にアルベルタの元へ行ったのよ。地理的な問題? こちらに来る予定はあった?」
「いえ、フリューゲルに行く予定はありませんでした」
 わたくしは口を尖らせる。わたくしの思いは一方通行なのかしら。
 そう思ったけれど、『一般人が気軽に王族の方を訪ねられたらそれは問題では』と付け足されぐうの音も出ない。ヴァイオレットの言う通りなのだけれど。
 わたくしの複雑な乙女心など素知らぬ顔で彼女は言う。
「一応、理由があります。アルベルタ様にはとある貴族令嬢様の家庭教師の仕事を斡旋して頂いたことがありまして、その件のご報告がてら王宮へ寄らせて頂いたのです」
「あら、お前はそんな仕事も始めていたの?」
「いえ……彼女は……あの方は特別です」
 ヴァイオレットはその人を思い出したのか、少し遠くを見てから目を伏せた。
「その後も、都度仕事のご紹介を頂いていまして……弊社の社長からもお会いすることがあればお礼を申し上げるよう言いつけられておりました。そうではなくとも……少佐に、連れの者に彼の国の美しさをお見せしたかったのです」
「そうなの……嬉しいわ。祖国が美しいのはわたくしの誇りよ」
「はい。まさかそれからアルベルタ様の手配でこうしてこちらに来られるとは思ってもみませんでした」
「……わ、悪かったわ」
 宮中女官のアルベルタはわたくしの乳母であり、ヴァイオレットにとっては仕事の依頼仲介人。近くに訪れたのならわたくしが顔を見たがるだろうと気を遣ってくれたのだ。
 ドロッセルからヴァイオレット来訪の知らせを受けたわたくしは彼女の都合も考えずフリューゲルから迎えの馬車を出してしまった。結果、売れっ子自動手記人形がやっとのことで取れたであろう休み……それも大切な人との時間を邪魔してしまったのだ。
 強制的に近い形で呼び寄せたのは王族の傲慢な振る舞いだったかもしれない。
「……ヴァイオレット……フリューゲルに来たくなかった?」
「いいえ」
「本当に……?」
「はい、シャルロッテ様が嫁がれた国ですので。興味がありました」
「ありがとう……わたくしは、自由な身の上ではないから……自分だけではどこにも行けないのよ……来てもらうしかないの」
 そう言うと、ヴァイオレットは『わかっております』とこくりと頷いた。