序章
これはなんの音だろう。
風よ、集えと、誰かが歌っている。
紅く色づいた葉が舞い踊る中、少年はどこからか聞こえてくる不思議な音色の主を探した。小学校にあがる前といった年ごろだった。澄んだ瞳は、見る者の足を止める力を秘めていた。薄暗い森をさまよった者が、川面の煌めきに心奪われるように。少年の瞳をこれほどまでに輝かせたものがそこにいた。
射手だ。的に向かって矢を射る者。
的は二つ。白の弓道衣に袴姿の、中年と年老いた男の二人が交互に矢を放っていた。
矢が離れる瞬間、カーンという高い音が響く。
その美しい音を追うように、的に矢が刺さる音がして、さらに「よし」という声援がかぶさる。声を出しているのは観客席にいる高校生の集団で、まるで輪唱をしているようだ。
母に連れられて偶然立ち寄った神社での一場面だった。鎮守の杜の奥にある弓道場周辺には人だかりができており、ちょうど決勝戦が行われていた。
遅れてやってきた母は、人垣のすき間から身を乗りだしている少年の肩に手を置いた。
「
「ごめんなさい。ねえ、お母さん、あれは何?」
「弓道の試合よ。一番多くあたった人の勝ち。同点一位になったときは、一人一射ずつ続けて矢を放って、最後まではずさなかった人の勝ちとなるの」
「へえ、おもしろそう」
「簡単そうに見えるけど、十射
「弓道ってそんなに難しいんだ……」
男たちは四射終えても勝敗がつかず、まわるコマのような模様の的から、白地に黒丸が一つの、ひとまわり小さな的につけ替えられた。さらに四射するも、やはり、どちらも的をはずすことはなかった。
にわかに会場がざわめく。
「これはえらいことになったな、ここまではずさないとは……。普段は審判席にいらっしゃる八坂先生が参戦されているからな。さすがと言おうか」
「
一人、食い入るように見つめている男子中学生の姿もあった。長い指がかすかに震えている。
少年は先ほどから一番気になっていたことを口にした。
「この『カーン』って音は何?」
「ああ、〈
「ツルネ? 楽器みたいだ」
「そうね。楽器と一緒で弓や腕前によって音が違うの。もともとは
「――ぼく、弓道やってみたい」
「ふふ、素敵ね。湊が試合に出たら、お母さんいっぱい応援しちゃうわ」
「ほんと? ぼくがんばるから絶対見に来てよね。約束だよっ」
「ええ、約束ね」
会場からため息が洩れた。二十射目で一人はずしたのだ。
一転、静寂があたりを包んだ。唾を呑む音がやけに耳につき、肌がひりひりと痛む。人々の関心は、射場に立つ一人の老人に注がれていた。
世界に比類なき長さを誇る美しい弓が、ゆっくりと引かれていく。
長い長い間のあと、矢は的へと放たれた。
天翔ける弦音。的音。
「よし」という人々の声。
鳴りやまぬ胸の鼓動。
ぼくも、あんなふうに弦音を響かせてみたい――。
大きな拍手に包まれたとき、少年はそう思った。
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