【京都アニメーション アニメーター科 第29期前期生】

現在取り組んでいるクリンナップ課題を通して考えた、課題に取り組む姿勢についてお話しさせて頂きます。

私はよくこのようなアドバイスをいただきます
「クリンナップも絵であること」
「ただ違和感をなくそうとしている」
などです。

頂いたアドバイスから、ただ線をなぞるのでは無く絵を描く、より良くする意識を持つこと(質感や立体などの意識)
作業的では無く楽しむこと、そうでないと良いものを作れないのだと思いました。

自分の目的を考え、細かい工夫よりそれ以外の大きな物の考え方を見直すべきだと課題を通して学びました。

【京都アニメーション アニメーター科 第29期前期生】

現在取り組んでいる課題は沢山ありますが、特に苦戦しているのが止まって走り出す、という動きの課題です。

私はそれまで、走るという基本の動きについては熟知しているつもりでした。

普段している日常的な動作は、普段から行っており描けて当然だと考えていたのです。

しかしいざ描いてみると、基本的な動きであればあるほど自分が普段から何も観察していないことを知り、愕然としました。

普段から観察より、自分でこうであるはずという先入観を先行させて見ていたこと、そして、良いアニメーションはそれでは永遠に生まれないことを、この数カ月かけてようやく学びました。

入塾してから、添削で自分の絵は粗いと何度も言われてきましたが、ようやくその意味と原因が解った気がして、落ち着いた反面、スタートラインどころかずっと後ろの方に吹き飛ばされた気がしています。

そこから挽回するべく、まずは自分の目を何よりも先に疑い、何が本当なのか見極める力を養わなければならないと感じました。

同時に、今まで軽んじていたクロッキーやデッサン等、基礎訓練の重要さに気付きました。今まではこれくらい出来る。と思考停止していたものが、このままではいけないとしっかり向き合えるようになってきて、先の長さばかり憂う反面、そういった鍛錬の楽しさを今一度噛みしめられるようになってきて嬉しく思います。

いつか必ず描けるようになる、という決意の元、これから少しずつ挽回していきたいです。

【アニメーションドゥウ アニメーター科 第29期前期生】

「立ち止まる、走り出す」の作画課題に取り組むうえで学んだことについてお話させていただきます。

私がこの課題を通して感じていることは、「自然な動きを描く難しさ」です。

違和感のない動きを描くには、様々な事柄に意識を向ける必要があります。
「アニメーターは絵描きであると同時に『演出家、カメラマン、演者』でなければならない」という言葉の重さを痛感する中、今の私に圧倒的に足りていないと感じるのは、「画力」です。

いくら描きたい理想の動きを追求していたとしても、それを正しく、柔らかい線で表現する技術が伴っていなければ、硬く、不自然な動きに見えてしまうということをこの課題を通して学んでおります。

骨格を正しく描けないことはアニメーターにとって致命傷でしかない、そのことを念頭において、毎日目標を掲げ、課題や自習に取り組んでいます。
思うように表現できなくて悩むこともありますが、それでも描き続けたいと思えるのは、講師の皆様のアニメーションに対する熱意に、日々感銘を受けているからです。

描くことの楽しさはもちろん、丁寧に添削してくださる講師の方々への感謝の気持ちを忘れず、毎日自分の「本気」を更新し続けます。

【京都アニメーション アニメーター科 第29期前期生】

現在取り組んでいる「動き」の課題について記します。

私が動きの課題で講師から頂いた最初の評価が、「出来の悪いワイヤーアクションのようだ」でした。とてもショックでした。始めは講師が教えてくださる事の内容がよく理解できず、その事が気になり夜も眠れないほどでした。しかし言われたことを噛み締めよく考えていく事により、段々と課題に生かす事ができるようになっていました。

そして最近になり、私は始めに描いた課題を見て大きな成長を実感しました。確かに動きに力強さもない出来の悪いワイヤーアクションのようだと感じるほどに。

絵に限りませんが、常に考える事。ただ数をこなせば良いわけではなく、何故理想の動きにならないのか、重心か、タイミングか、手か、足か、画力か、はたまた根本的な考え方が違うのか。描いて見て考えて描いて考えて見て描き続ける事こそが大きな成長に繋がるのだと感じました。
しかしそればかりでもただ疲れるので楽しく自信を持つ事も忘れずに描き続けたいと思います。

【京都アニメーション アニメーター科 第29期前期生】

現在『立ち止まる→走り出す』の作画課題に取り組んでいます。キャラクターが画面外から勢いよく走り込み途中で停止して、その後再び画面外へと走り抜けていく一連の動きを描いています。私は難航しているこの課題ですが、講師の方の力を借りて何度も修正していくうちに、アニメを描くことの醍醐味が見えてきたと感じ始めました。

それは当然の動きを当然に見えるように描くことの難しさ、という話でもあります。私たちが日常生活で無意識に、あるいは意識的に行っている動作には実はたくさんの決まり事があり、キャラクターの動きにはそれらが適切に落とし込まれている必要があります。だからといって必要と思われる要素のみに絞った絵で揃えても記号的で、求めている自然さからは遠くかけ離れることになり、自然且つ華のある良い動きを描こうと思ったら、その運動の要点を掴んだうえで私自身の実感を絵に乗せることができなければならず、講師の方からはよく自分の描いた動きの感触や印象を尋ねられることになりました。そして、それを言葉にするのが難しいと感じる度、見てもらうことで感覚を共有できるだけのものを作れればいいのに、ともどかしさを感じてしまいます。

しかし、この難しさがそのまま描くことの楽しみといえるのかもしれない、とある時ふと思い至りました。思うようにならないことばかりだからこそ、思いもよらぬ興味深い意見、素晴らしい提案に出会えることもあります。試行錯誤しながら出来上がったものはまだいまいちでも、良い変化を望んで向き合っている時間は確かに楽しいものです。

学んだアニメのセオリー、そして楽しみを大事に、今後も自分の課題と共に良い時間を過ごせるよう努めていきたいと思います。

【アニメーションドゥウ アニメーター科 第29期前期生】

塾が始業し早3か月が経ちました。4月中旬から5月末まで続いた自宅学習期間も終わり、 やっと元通りの通塾生活が戻ってきました。3か月も課題をこなし続けていると、そろそろ自分の課題がハッキリしてくる頃です。

現在私は、クリンナップから中割りに移行した段階にあります。まず、大まかに言いますとクリンナップとは原画を一本線の滑らかな絵に仕上げる作業です。新人アニメーターが最初に取り掛かる作業行程であり、これができないと始まらないとのことでした。そしてこの次の段階が中割りになります。原画と原画の間に絵を足し、対象物の動きを滑らかにする仕事です。

次の段階と記しましたが、作業量が増えたとしてもクリンナップの心得を忘れてはなりません。講師陣からは度々「クリンナップはなぞるだけの作業ではない」「対象物の形を捉え、(表情は特に)ニュアンスを拾うのが大事」「柔らかい線を」など指摘を受けます。頭では分かっていても目先の線にしか注意が向かず、なかなか思う線が引けませんでした。

そんな時、塾が再開して間もない日の授業で、クリンナップの添削をしていただいた時の事でした。講師の先生に目の前で私のクリンナップを描き直していただき、驚いたのです。Youtubeに、画質設定のボタンがあると思います。144pは最も粗い画質設定ですが、これが私のクリンナップ品質と考えてください。その上から講師の先生が描かれた途端、最上画質の1080pになってしまったのです。これが画面でなく、紙面上で行われたものだった(そして、こんな場面を目の当たりにするのは人生で初めての経験だった)ので、とても驚きました。それに、作業風景を間近で見ることによって、度々指摘をいただいていた事がはっきりと理解できたのです。それ以降私のクリンナップはガラっと変わり、日々自分の思うような線に近づきつつあると感じております。

数を描くのは勿論大切です。ただ、この経験から「見る」ことも同じかそれ以上大切だと実感しました。

【アニメーションドゥウ アニメーター科 第29期前期生】

現在取り組んでいる作画課題「飛び越える」で得た学びをお話します。

アニメーションは人物、感情、空間、物、風、光も影も言ってしまえば全てが嘘の作り物です。
ではなぜ作品を観ていて登場人物に深く共感したり、目が腫れるまで涙を流したりドキドキするほどの勇気が溢れてきたりするのでしょうか。

まず、アニメーションの作画ではキャラクターが動いているように見せる為に実際の人間の動作より誇張させたポーズでキャラクターを描けねばなりません。
しかしその一方で、一連の動きとして嘘にならない現実味のあるもの、リアリティーも求められます。

誇張とリアリティー、双方の兼ね合いの末にキャラクターは説得力のある動きになり、説得力を持った存在になるのだということを学びました。

そのように「生きている」という説得力を作品の中のキャラクターひとりひとりがしっかり持っているからこそ、共感、感動、興奮ができるのかもしれません。
そしてその説得力のある動きを作り出すことがアニメーターだからこそできることのひとつなのだと思います。

このような気付きや学びのひとつひとつを大事に、焦らず零さず一歩ずつ進んでゆきます。